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更新日付:2023年1月5日 地域活力振興課

AOMORI LIFESHIFT人財インタビュー09 小松 良重 さん

大学での事務を定年退職し、得意の料理でお店をオープン
自分を育ててくれた社会に、今はお返しがしたい

小松様01 「アグリキッチンcafé」オーナーシェフ


階上町在住。4歳で階上町から大阪へ移住。大学卒業後、株式会社ローソン(当時はダイエーローソン株式会社)に3年間勤務した後、Uターン。1984年から八戸学院大学(当時は八戸大学)に図書館司書として勤務し、学院内での異動を経て、60歳で退職。その後、八戸学院大学女子ラグビー部の寮にて食事作りを3年間行う。2019年自宅で「アグリキッチンcafé」をオープン。

記憶はなくても、青森に戻ると決めていた

本籍は階上町、生まれは八戸市です。時代は高度経済成長期、4歳くらいの時に父親の仕事の関係で家族で大阪に移り住みました。私が大学を卒業する頃になると、両親は階上町に戻り、山林を開拓して家を建てました。

私は、3つ下の弟が大学を卒業したら一緒に戻ろうと決めていました。当時は英語の先生になりたかったんです。でも、採用試験に合格できなくて、就職浪人をすることに。英会話学校の授業料を稼ぐために、まだ大手になる前のローソンの本社(当時は大阪に本社があった)でアルバイトをしていたら、正社員に登用されて、階上町に戻るまでという期限付きで働きました。

大阪から階上町に戻る時、友人や職場の人には、「なんで戻るの?」と言われました。確かに、階上町には4歳までしかいなかったから、記憶はほとんどありません。でも、両親からずっと「いずれは青森に帰る」と聞いていたし、新しい家はヒバの木で建てたからいい香りがするんです。自然に戻ると決めていました。

定年退職をしてから、ずっと好きだった料理を仕事に

こっちに戻ってきてからは、大学時代に取っていた図書館司書の資格を活かして、八戸学院大学(当時は八戸大学)の図書館に勤務し始めました。ちょうど大学が設立4年目のときでした。それからはずっと図書館にいたのですが、八戸学院は幼稚園から大学まである学校法人なので、学院内で何度か異動があって、最後は短期大学部の事務室で終わりました。60歳で定年退職。延長はしませんでした。もう事務仕事は思いっきりしたし、一回リセットしたかったんですよね。
  • 小松様02

  • 小松様03
    大学の図書館に勤務していた頃の小松さん。「とにかく一生懸命だった」という
次に何をするかは具体的に決まっていませんでしたが、昔から料理が好きだったので、漠然とお店や料理教室ができたらいいな、と思っていました。そしたら当時の学長に、「昨年女子ラグビーが創部されたが、定年退職するなら学生たちの食事を作ってくれないか」と相談されました。普段から手作りのお菓子を職場に差し入れたりしていたので、私が料理好きだということをご存知だったんですね。それで、お引き受けして3年間女子ラグビー部の寮に通いました。

寮では10人くらいの女子学生が共同生活をしていました。私は毎日15時半頃に行って、夕食と朝食を作って帰っていました。学生たちが最初、私の料理を食べて「やばい」って言うんです。「え、おいしくないの?」と聞くと、今の若い人の間では「おいしい」という意味らしいですね。「やばい。やばすぎる」って、すごく喜んでくれました。それを見て、「もしかしたら、お店もできるんじゃないかな」と思えるようになりました。

そんな折、自宅を修繕することにしていたので、どうせ直すなら・・・と保健所に相談して、飲食店開業に必要な洗面台やシンクを新たに設置し、食品衛生の講習も受けて、2019年7月に「アグリキッチンcafé」をオープンしました。自宅なら家賃がかからないし、辞めたくなったら辞めればいい。料理は五感を使うので、認知症防止にもなると思って踏み出しました。
  • 小松様02
    食事を作っていた女子ラグビー部の学生たちと
  • 小松様03
    寮で作っていたオムライスは、素早く作るために卵は巻かずに上に乗せる。
    今ではアグリキッチンcaféの人気メニュー

1人で時間を調整する働き方に変わった

お客さんは地元や近隣の市町村から来る人がほとんどで、中高年の方が多いですが、若い人もお見えになります。多い日では7〜8人、でもお客さんが全く来ない日もあります。忙しい日と暇な日の落差が激しくて、混みやすい土曜日は予約制にさせてもらっています。メニューは曜日ごとに「パスタ系の日」とか「煮込み料理かフライの日」と決めて、お店のFacebookに載せています。以前はお店にメニューを置いていたんですが、コロナ蔓延後の現在は口頭でその日作れるものをお伝えしています。

地元の企業や役場にお弁当を用意したり、道の駅にお惣菜を卸したりもしています。お弁当作りを開店時間までに終わらせるのが大変です。1人で作業をするのは気楽ですが、時間の調整は難しいですね。働き方は、勤務時間が決まっていたこれまでと全く変わりました。
  • 小松様06
    リビングルームをお店にした、くつろげる空間。長居するお客さんが多いそう

手間がかかっても、大事にしたい食文化

実は私、子どもの頃は体が弱くて、しょっちゅう学校を休んで家で寝ていたんです。その時に、「きょうの料理」というNHKのテレビ番組をよく見ていて、料理を始めました。その経験もあって、料理を作る時はいつも、健康に良いものを心がけています。定年後に、大学で懇意にさせていただいていた先生の元で、食生活アドバイザーの資格も取りました。

お店では、現代人に不足しているミネラルを摂れる食材を、たくさん取り入れています。野菜は1食につき必ず120g以上使っていて、「青森のおいしい健康応援店」にも認定されています。また、化学調味料はなるべく使わずに、だしもかつお節や昆布など“本当のもの”を使っています。手間はかかるんですけどね。

食材は、家の畑で採った野菜や道の駅で買ったものを使うようにして、できるだけ地産地消をこころがけています。郷土食も大事にしていて、「堅豆腐」という青森県三八地域や岩手県北地域に伝わる豆腐を広める「南部の堅豆腐プロジェクト」にも関わっています。このプロジェクトは以前八戸学院大学にいた先生が宮城学院女子大学に移られてから立ち上げたもので、私はレシピ開発などをしています。

堅豆腐をはじめ、お店に来てくれたお客さんからは、「この食材は何ですか」なんてよく聞かれます。説明すると、みなさん驚いたり、珍しがったりされます。そんな風にお客さんとお話しするのはとっても楽しいんです。

あと、お客さんからよく、「ボリュームがあるね」と言われます。ほら私、アスリート学生たちに食べさせていたでしょ。だから知らず知らずのうちにたっぷり盛り付けてしまうみたいです。

料理教室も定期的に開催しています。昨日は、お店でぬか漬け教室をしていました。実際にぬか床を作りながら、ぬかのなかにいる乳酸菌の働きについてお話して、パワーポイントで作った資料を配りました。これまでの事務仕事の経験が役に立っています。コロナ禍になってからは、オンラインでの料理教室も始めています。

  • 小松様07
    店のカウンターキッチンで料理をする小松さん
  • 小松様08
    栄養もボリュームも満点の日替わり定食。
    右上の小鉢は、角切りにした堅豆腐のサラダ

第2の人生は、できることを続けていく

60歳まではとにかく一生懸命働いてきました。今は、ここまで自分を育ててくれた社会に、お返しをしたいと思っています。自分が料理の知識を得られたのは、大学の図書館にいて、先生たちとお付き合いがあったから。その知識を独占するのではなく、今度は社会に返していく。

社会貢献とか地域貢献というと大げさだけど、自分の料理を誰かが楽しんでくれたら、自分もうれしいし、さらにお金をもらえるなんて、そんなにありがたいことはないですよね。

若いときはがむしゃらに働けても、年をとったら体が言うことを聞かなくなります。でも、その分をカバーできるテクニックが、経験から身についています。だから第2の人生では、がむしゃらにならなくてもいい。それよりも今持っているものを持続させていくことが大事だと思います。運動しないと筋肉が落ちていくのと同じで、知識や技能もやめたら衰退していくから、できることを続けていく。私も思い切ってお店を始めて良かったです。

やがて舌が衰えておいしい料理を作れなくなったら、第3の人生は、自分のしたいことを好き勝手にしたいですね。旅行とか、陶芸とか、読書とか、やりたいことがまだまだいっぱいあります。

  • 小松様09
    自宅の隣にある畑にて。野菜を無農薬で育て、お店で出している

この記事についてのお問い合わせ

地域活力振興課人づくりグループ
電話:017-734-9133  FAX:017-734-8027

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